キジー島の木造建築物


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キジー島は16世紀には、周辺の島嶼(とうしょ)に成立していた130あまりの集落の中心地でした。

この頃にはすでにプレオプラジェンスカヤ教会(顕栄聖堂)とポクローフスカヤ教会(生神女庇護聖堂)の原型が成立していたと思われています。

しかし、記録によればプレオプラジェンスカヤ教会は1690年に落雷で焼し、ポクローフスカヤ教会も老朽化のため破却されたとあります。

1700年から北方戦争が始まったことにより教会の再建は中断。

しかし、戦後、ロシアはスウェーデンのバルト海における覇権を奪取したことから、カレリア地域における支配もより確固たるものとなった。

また、ピョートル大帝による新首都サンクト・ペテルブルクの造営に代表される新たな社会建設の熱を帯びた時代精神が、この地における木造建築勃興を促すのに影響を与えたとされています。

ロシアの建築物をさかのぼると、10世紀に入るまでのロシアの建築物はほとんどが木造でした。

切断面が腐食しないように鋸ではなく木繊維の破壊が少ない斧を使用し、15世紀には鉄の釘を一本も使わずに建てる工法も生まれました。

その技術が、キジー島の教会にも生かされています。

ロシア北部には、現在もなお多くの木造建築が残っています。

これは、ロシア北部ではタタールのくびきによる破壊を免れたこと、そして近現代で工業地帯とならなかったためです。

現在でもペトロザヴォーツクやアルハンゲリスクは木材の町として有名です。

キジー島の木造建築物アンサンブル

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プレオプラジェンスカヤ教会、ポクローフスカヤ教会、鐘楼の3つのアンサンブルは非常に美しいが、これはきちんと計算されて作られているアンサンブル。

この3つの教会のアンサンブルは、空間構成として、それぞれの中心を結んだ三角形を基本に配置、どの角度から見ても最大限の視覚効果が得られるようになっています。(この空間、建築手法はロシア建築の特徴的なものとなっているようです)

そして1714年完成のプレオプラジェンスカヤ教会が、夏季専用の教会であったため、ペチカ(ロシア式の暖房)を備えた冬用のポクローフスカヤ教会を建てるにあたり、プレオプラジェンスカヤ教会の美しさを引き出させるためにとられた手法が、ポクローフスカヤ教会にも、同じような複数の玉ねぎ型のドームを持たせること。

そして、2回の建て直しをして完成したポクローフスカヤ教会の9個の玉ねぎドームと、プレオプラジェンスカヤ教会の22個の玉ねぎドームが幻想的なアンサンブルを生み出しました。

そして最後に1874年には鐘楼が建立。

スタイルの異なる複数の建築による空間構成のバランス。

こうしてトライアングルアンサンブルが160年の時を経て完成したのです。

ロシアを代表する景色のひとつですね。

 

  
 

 

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